みなさん,こんにちは。
今日で10月も最後。10月は,わが国ではデジタル月間,世界ではサイバーセキュリティ月間でした。便利さを押し広げる動きと,安全の地盤を固める動きが,同じ時期に同じ強度で語られるのはとてもよいことだと思います。特に教育現場は,この2つの力に同時に引っ張られています。片方だけを強めれば,もう片方がおろそかになってしまいます。そのため,デジタルとセキュリティの関係を対立軸ではなく,補助線として考えたいと思います。補助線を引くことによって,たとえ複雑な図形であっても輪郭がはっきりとしてきます。実際,教育現場で起きていることは,そのくらい入り組んでいると考えます。
ここ数年,さまざまな学校に訪問させていただくたびに,「何を増やし,何を減らすべきか」ということを心の中で自問自答してきました。デジタルは増えるほど便利になりますが,併せて「考える仕事」と「操作の仕事」が混沌としていきます。事故やミスはこうしたときに起こるものと思います。操作を減らす工夫は,ブラックボックス化を招き,思考の機会を奪います。安全も同様で,禁止を増やせば事故は減りますが,学びの偶然性も奪うことになります。安全の構築を禁止事項が列記された規則に委ねるのではなく,できる形の設計へと移すことが,新たなフェーズへと進む一歩であると感じています。
教育現場では,毎日のように小さな緊張が走ります。授業の際,タブレット型PCを画面を共有しているときに,通知が一瞬見えてしまった,写真の公開範囲をどうすればよいか,生成AIにどこまで生徒のデータを持ち込めるのか―。
どれも“悪意”によるものではなく,“設計”の問題です。設計と運用のすき間に,ユーザーはつまずきます。言い換えれば,設計がわずかであれ良くなると,驚くほど多くのつまずきが消えることになります。この「設計の微調整」が,学校のデジタル化における最大のレバレッジだと考えます。
学習指導要領の次の姿が議論されている今,小中学校における情報教育の厚みが増す方向感が示されています。これは“新しい単元が増える”というだけの話ではありません。情報という教養を「技術の知識」だけでも「道徳の態度」だけでもなく,日常の振る舞いの設計にまで落とし込むことが求められているという合図であると考えます。私は,この合図を運用と学習の接続として受け止めたいと感じています。日々の情報の扱い方,つまりロックや共有や記録の仕方といった事柄が,教室での探究や表現とつながって循環しはじめる―。その循環が,子どもたちの「情報活用能力」の土台になると考えています。
情報学教育研究会は,2025年度,その循環に,あらゆる想定や事例を組み込み,より太くするための取り組みを行ってきました。たとえば,誤送信を防ぐチェックの言い回しひとつにしても,教職員・児童生徒・保護者,それぞれの立場ごとに表現の仕方は変わってきます。掲示物や配布物も,単なる注意喚起から脱し,足並みを揃えるための道具にすべく,試行錯誤し,職員室で貼っても教室で読んでも違和感のない言葉,保護者に伝えても過不足のない言葉を選び,少なくとも「同じ話が同じ温度で伝わる」ものを目指したいと考えています。
もうひとつ,再現可能性というのも大事だと考えます。教育現場での創意工夫は敬服に値しますが,個人の善意と技能に依存してしまうと,それは失敗に終わってしまいます。学校という組織で持続していかなければなりません。画一化するのではありません。誰もが再現できる小さな「型」を作り,それにアレンジを加えていくことで特色や個性が出していけるものと考えます。
次期学習指導要領に向けた議論では,小中学校での情報教育の位置づけが確実に重くなるでしょう。この「重さ」を,教員にとっての負担ではなく,教育の芯に近づく重さとして受け止めたいと考えています。情報は道具であると同時に言語であり,文化であり,ふるまいです。だからこそ,特定の教科だけに置いておけない。情報の考え方を持った学びが,国語や理科や社会など,あらゆる教科の中でも顔を出します。新しい学習指導要領への移行を恐れるのではなく,すでに現場にあるよい習慣を言語化し,共有し,残す機会として歓迎する機会としたいと感じています。
今秋,秋の訪れとともに,私たちの周囲では,たくさんの「気配」の訪れを感じることとなりました。新しい制度の気配,新しい技術の気配,そして学校がゆっくり変わっていく気配。この気配は目に見えにくいところもありますが,確実に存在する気配です。この気配をつかむには,足早に結論へ走らず,観察と言葉を重ねる時間がいると思っています。情報学教育研究会の役割は,教育現場の声を集め,小さなひな形にして返し,また声を受け取る。その往復が,やがては政策の言葉とも接続していくと考えています。
2月には,我が国独自のサイバーセキュリティ月間が訪れます。4か月という期間は短いようで,考えを熟すには十分な時間があります。焦らず,しかし弛まず,情報学教育研究会はこの「間合い」を保ち,学校が安心して挑戦できる環境を,少しずつ整えていきたいと考えています。
デジタルは人を急がせ,安全は人を立ち止まらせます。学校はその両方を抱えながら,今日も子どもたちの前に立っています。デジタルの力と安全の知恵が同じ速度で育つように,情報学教育研究会は今日も補助線を引き続け,気配を言葉に,言葉を習慣に,習慣を文化に。来るべき新しい学習指導要領を,さらにはその次の新しい学習指導要領を見据えながら,ひたすらにがんばって参ります。

